2019年02月01日

2 武侠三国志 剣豪徐庶の物語

「公子……、大丈夫なのですか?」

「痛いよう! 痛いよう! エーン、エーン」

軽やかに着地したように見えて、やっぱり骨折したのだろうか。人影が地面にうずくまってしまった。

「公子!」

許褚が慌てて、駆け寄り、その小さな人影を抱えあげようとした。

その時である。

ズシン。

許褚は、その場に尻もちをついていた。

腕を伸ばしたまま、金縛りにあったように身動きができなくなったのだ。

おまけに口も聞けなくなっていた。

驚きのあまり凍りついてしまった。と、他の者が見れば思うだろう。

事実、許褚は、声にならないいくつもの悲鳴を漏らしていた。

そんな馬鹿な!




うずくまっていた人影がすくっと立ち上がった。

嘘泣きだったのだ。もちろん、怪我もしていない。

月明かりに照らされて、その顔が顕になった時、許褚は、ひとつ目の悲鳴を漏らした。

そ、曹沖様……! そんな馬鹿な! お亡くなりになったはずなのに!

曹沖。字は倉舒。

曹操の子息の中で、最も優秀とされており、曹操が後継者にと期待していた。

ところが、数年前に、わずか、十三歳にして夭折。

曹操の嘆きは、一方ならぬもので、曹沖と共に棺に入りたいなどど言い出す始末で、許褚ら、側近が力づくで止めたほどである。

あれほど、憔悴した曹操を許褚も初めてみたのだった。

もちろん、曹沖の遺体が埋葬されるところを許褚も見届けている。

なのに、その曹沖が、今、許褚の目の前にすくっと立っている。




「久しぶりだね。許褚」

許褚は、声を出すことができなかった。

驚きのあまりということもあるが、それだけではない。

お、おかしい! 体が全く動かない……!

もちろん、声も出ないということに気づいたのだ。

「僕を忘れたのかい? 僕はあの日から、ずっと年をとっていないから、わからないはずはないと思うんだけどね」

曹沖がクスクスと笑って、言葉を次ぐ。

「もしかして、何をされたのかわかっていないのかい? まさか、父上の親衛隊長ともあろうお前が、点穴を知らないはずはあるまい」

て、点穴……?

許褚は、はっと思い出した。

医術を極めた者は、人体の要所にあるツボに対して、刺激を与えることによって、相手に内傷を負わせたり、逆にツボを刺激することで、治癒させることができるという。

例えば、みぞおちを力任せに殴ることも、ツボを刺激する方法と言えるが、玄人は、力任せに殴るのではなく、それを指一本で成し遂げてしまう。

一本指でツボを、ポンと突くだけで、相手を麻痺させたり、昏倒させてしまうことができるのだ。

許褚も、一度、点穴されたことがある。

あの名医華佗によって。

華佗が、許褚のような猪武者など、指一本で制圧できると豪語したものだから、ならばと、許褚が殴りかかったところ、本当に、一本指で突かれて、昏倒してしまったのだ。

その後、驚いた曹操が、「この妖人め!」と、華佗を捕らえて、投獄してしまった。

曹沖は、華佗のその技に夢中になった。そこで、曹操に内緒で、華佗が囚われている牢屋に度々、足を運んでは、教えを請うていたようである。

それを知った曹操は、曹沖が妖術の虜になることを恐れて、華佗の処刑を命じた。

手を出したのは、他ならぬ、許褚自身である。

華佗の死を知った曹沖は、嘆きのあまり、病の床につき、程無くして亡くなったのだった。

「思い出したみたいだね。華佗先生にやられた時のことを」

許褚は瞠目するばかりである。

「この技は、小手先の技ではないよ。ツボの位置を知っているだけではダメなんだ。もちろん、指で突くだけの技ではない。内功を伴って初めて意味があるんだ」

内功……?

聞いたことのない言葉である。

「内功というのは気のことさ。お前のような猪武者は、力任せに殴ることしかできないだろうけど、内功を使えるようになれば、僕みたいな、小さい体でも、お前みたいなデブを突き飛ばすことができるんだ。何なら試してみるかい」

曹沖が許褚の顔に向かって、手の平を突き出した。

許褚の顔の顔に、曹沖の手の平は触れていない。

だが……。

パン!

許褚は、仰向けにひっくり返っていた。

曹沖の手の平から、突風が吹き出した。そうとしか思えなかった。

台風の風を手の平サイズに凝縮したような風の塊が、許褚の顔に直撃。

か、顔が潰れた!

と錯覚したほどの衝撃である。

意識が遠のいた。目の前が真っ白になる。

かろうじて、クスクスという曹沖の笑い声が聞こえるばかりだった。

「これが内功の力さ。この力を指一本に凝縮して、打つのが、点穴技なんだ……。ねえ。許褚、聞いているかい? 寝るなよ。僕と遊ぼうよ」

曹沖が無邪気な声を上げながら、許褚の脇腹をける。

ぐおっ……。

猛牛に突進されたかのような衝撃が走った。

体が屋根の高さほどまで舞ったと思うと、次の瞬間には……。

ドスーン!

顔から地面に叩きつけられていた。

だが、全く、身動きの取れない許褚は、受け身が取れない。

額が割れ、地面に血が滴った。

曹沖は、クスクスと笑いながら、またしても、許褚の体をまるでマリのように蹴り上げる。

そのたびに、許褚は、とてつもない衝撃を受けていた。

こ、このままでは殺されてしまう!

しかし、体が全く動かない。

くっ! こんなところで殺されるわけには……!

絶望的な思いにとらわれた時、どこかから、不気味な声が響き渡った。

「曹沖よ。それくらいにしておけ……」

曹沖が、けまりをやめた。声の主に向かってかしこまったようである。

「し、師父。お出ましだったのですか……!」

「お前が、抜けだしたことに気づかないとでも思ったかえ? こんな夜中に、抜け出すとは悪い子だ」

「ごめんなさい。師父。でも、華佗先生にひどい目に合わせた、こいつのことは許せなかったんです」

「わしの許しなく、勝手に抜け出すでない!」

「は、はい。師父!」

「戻るぞ」

「はい」

曹沖が、バッと屋根へ飛び上がった。

屋根には、曹沖の倍の背丈がある黒い長衫の男がいたが、影になっていて、容貌ははっきりしない。

「許褚。点穴は、朝になれば自然に解けるよ。それまで、おねんねしていな」

クスクスという笑い声を残して、二人はどこかへと飛び去った。
posted by ノベル時代社武侠小説プロジェクト at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載小説 武侠三国志 剣豪徐庶の物語
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